バングラディッシュ

100TK → 117円程(2011,2月) *10TKの値打ちは大きい!
 10TK → ミネラルウォーター500ml、バス2回、渡し船5回、
        ミルクティー2杯、バナナ5本、ボタン付け直し10個

バングラの人々

Dhaka
   AirAsia KualaLumpur14:00ーDhaka16:00  Dhaka空港からモティジールへは、CNG、400TK。200TKが正当な値段。
                                        (外国人が最初からぼられずに乗るのは不可)
                     Hotelは結構チョイスがある。ただし、歩き方に出ているパシフィックは営業努力なしでもダッカ一泊後インドへ
                     抜けるパッカーが結構来るので、内容に比べ割高になってしまっている。
   Hotel Ornate Single 1900TK エアコン、朝食付き、ミネラルウォーター付き
                     オーナーは、日本人ミウラコウジ氏。ビジネスマン向けの良い目だが、部屋に蚊がいた。
                     暗くなってしまい、かつあまりの埃っぽさに疲れここに決めたが、600、700位でまぁまぁのがある。
   Midway International 732TK single 湯シャワー、タオル
                     ロケーションが良い。受け付けは、係りによりかなりしたたかなので要注意、支払いは海外では基本だが、
                     言われない限りなるべく最後に!
 
ダッカに入ると、もうそこいらじゅうにリキシャがあふれている。リキシャはリキシャマンの自慢でもあり、明るいカラフルな暖色で思いっきり派手に神様や美女が描き塗りたくられている。何度か、リキシャに乗ったが、他にもCNG、乗合オートリキシャ、バスなどがひしめく渋滞の中をホンの少し隙間が出来ればすかさずねじ込んで行き、カスリもしないで巧みにぬって行くのはまさしくプロの技だ。2キロほどで10TKが目安だ。 魚屋さんが、手早く魚のヒレを落とし、鱗を削いでいる。彼の前に立っているのがバングラの包丁でちょうどコブラが鎌首を持ち上げたような形をしている。どこの家にもある欠かせない道具だ。刃芯が板に突き刺さっていて、その板を足で動かないように押え、切りたい物を刃に押し当てて切る。子供が食事の支度をしているお母さんに後ろからいきなり抱きついたりすると切腹しそうになってしまう・・・
雨期に溜まった土砂の前で野菜を売る女性。明るい笑顔が美味しさを増す。玉ねぎ、ポテト、生姜など、どれも新鮮でじっさいとても旨い。食材は豊かだが、調理法はカレーのみ。全部カレー?と訊くと、豆カレー、野菜カレー、ポテトカレー、ブロッコリーカレー、他にもいろいろ。たくさんあるじゃない!って。 商売中だろうが買い物中だろうが、お祈りの時間になるとバザールの空き地にシートが敷かれ男たちがたくさん集まって来てお祈りが始まる。自分の前のシートの下に靴を置く。一斉に祈るのかと思いきや、来た順に小さいグループがまとまり、グループ毎に祈る。連れの女性がいる場合、女性たちは適当に休んで待っている。食器を見ていたら祈りに行くので店を閉めるから出てーーと言われてしまった。
線路は、列車だけでなく人もたくさん歩く。枕木が歩きにくいんじゃないかと思うが重い天秤を担ぎながらあっという間に見えなくなってしまう。鉄道関連の敷地は個人所有ではないため、追い立てられない?らしく、たくさんのバラックが建ち列車が通るすれすれの所まで洗濯物が並んでいる。 線路周辺は、例外なく想像を絶する貧困層が生活している。ドブ板の下は悪臭放つ水が溜まりゴミで埋め尽くされている。それでも、人達は明るい表情でカメラを見ると、撮って撮ってと集まって来る。若い女の子達は結構おしゃれで、華やかなシャノワール・カミールを競っている。子供たちは、どこまでも付いてくる。構内に停まっていた列車で終着駅のコムラプールまで無賃乗車した。最後まで付いてきた一人と駅でお茶。
列車は、どれもものすごく古い。窓はガラスが外れているのもある。本数が少ないのに乗客は多いので、切符を買うのはある意味戦いだ。席が取れなくてもローカルはどんどん乗ってくる??車掌のチェックを受けないように動き回っている人はどうも無賃乗車のようだ、人の事は言えないが。車内がどんなに混んでいても物売りは荷物を抱えながら巧みにぬってくる。 屋根の上は無料らしい。公認?されているのか、最初からしっかり屋根の上に上がる人達がいる。2月は、日本からすればもう全然寒くはないが、バングラ人達にはだいぶ寒いらしい。耳キャップをしている少年を多く見掛け訊くと寒さ対策だった。となると、屋根の上は彼らには風が冷たいのでは。ちなみに、普通に列車内に乗るだけでもかなり大変。線路から垂直のステップに片足をかけ、背丈ほどの高さの列車床面へ這いあがらなければならない・・・
帰りのフライトから眼下のダッカ。午後5時前の十分に明るい時間だが、スモッグに覆われて夕闇のようだ。バングラ滞在中、乾季ゆえ毎日晴天だったにも関わらず、終ぞ青空を見なかった・・・お腹、肺共に2週間が限界だった・・・ ダッカ初日に泊まった良い目のオルネトホテルからの眺め。てっきり廃墟かと思ったが、エアコンが並ぶ???っと、崩れたそのビルの3階開口部から男性が歯を磨きながら顔を出した・・・なんと、かなり良い目のコンドミニアムらしい・・・
帰る前3日間ホームスティしたコンドミニアムのAminとMita。ダッカ高級住宅街のグルシャンに住んでいる。すぐ横のバリダラには超豪邸が並んいるが、彼らのコンドミニアムは普通。しかし、アミンは他に不動産以外にも資金を持つ資産家だ。近く、近代的な病院を開設する計画だと聞いた。定期的にデモがある半面、マジョリティーの頭は固定し自国への誇りと自信に満ちている。それが、発展へのカセになっているのではと思う。 バングラ人の家にはクローゼットなど収納が無い。食器用キャビネットに服を入れたり、ちょっとした台の上などに積んでいる。総じて、持ち物は少なく、相当に古いものでも捨てずに使っている。携帯の普及は高いが、高級ホテルのWifiもお粗末だった。テレビ番組は、インドからのバラエティーが多い割には、急速に経済発展しているマレーシアやタイ、シンガポールなどの状況は殆の人が知らないでいる。

  カレー食材で抜群に美味しかった小魚→
Barisal管区とKulna管区
               Dhaka - Pirojpur 745TK 一等 Single 15時間 *一等???普通に一等をイメージするとほど遠いものになるだろう。
                                                    古い、ボロい、お粗末・・・夜中にネズミがピーナッツの殻を食べまくっていた。
河の国、バングラは船旅がポピュラー。夜行船が多く、夜のショドル・ガット(港)は大混雑。大きな荷物を抱えた家族連れが人をかき分けたくさん並んだ船の中から自分達の船を探す。港に入るには入港税(4TK)が掛るが、物乞いは顔パス。船内はおろか一等エリア内だろうが付いてくる。 2等では、持ち込んだ布などを敷いて寝場所を確保。殆どが総家族の大移動なので、食事用具なども持ち込み煮炊きする。河から汲み上げるポンプで水を調達。2等の人々は、船旅をとても楽しんでいる。カメラを向けると撮ってくれと行列ができてしまう。売店では、ミルクチャイが飲める。これは、熱湯消毒なので安全だが、当然カップは貯め水で洗う。チャイがぬるいとかなり危険。カレーもやはり皿が危ない・・・
2月のバングラは、朝晩風が冷たい。そんな中、朝もやの薄暗いうちから、川面のあちこちに釣り舟が出てくる。たいがい、家族単位で父親と小学生位の男の子の組み合わせだ。 川岸に焼煉瓦工場と農村が並ぶのどかな風景に、ミスマッチなモダンな橋が見えてきた。日本のODAで作られたという。雨期には、広範な地域が水没していまうからか、この橋は高く出来ている。ただし、橋をつなぐ道路事情は単なる田舎道の域を超えず・・・
Uraruhat(下船)→Pirojpur(バタリーオート)15TKシェア→Bagerhat60TK
ショドル・ガット対岸へ行きかう渡し舟。人が集まると動く、2TK。国土中の海抜が低く、橋があったとしても洪水ですぐ流されてしまうため、こうした渡し舟が人々の足だ。 Bagerhatには、世界遺産シャット・コンブス・モスジット(100TK、地元は5TK)があり、周辺には他にもモスジットがいくつかあるが、インドなどを観てしまうと今一・・・訪れているのは、主に地元の学生たちで学習指導の一環。外国人は、かなり珍しいらしく、次から次から写真を求められてちょっとしたスター扱いだ。英語教育は思ったほど浸透していなかった。
Khulna  Bagerhat→Kulna Total 35TK
         Hotel Castle Salam 800TK Single 向かいのRoyalと共にきれいでスタッフが親切。
                                 朝食ビュッフェ、湯シャワー *エアコン無しの部屋は通りに面していてうるさい・・・
学校帰りの小学生達に付いて粗末な家が並ぶ路地に入った。彼らの家は3畳一間ほどの真っ暗な空間。どの家にもたいがい患った年寄りが居る。共同の井戸は常に女性達で賑わっている。路地の奥は河に面し行き止まりかつ住人のトイレ。この環境に一瞬絶句したが、どこの家も子だくさんだ。こんな路地が埃っぽい通りに垂直にいくつも並んでいた。 通りを行くトラックには男たちが満載。カメラを向けると楽しげな笑顔で大騒ぎになる。
クルナはルプシャ河に面した港町でたくさんの物資が陸揚げまたは発送されていく。そのため川沿いには倉庫が並び、農産物などの問屋も多い。一袋は50キロほどなので、この男性は100キロも頭に載せている。しかし、倉庫に入れるまで運ぶのに一袋なんと6TK。 港と鉄道駅間に広がる市場にはあらゆる生活必需品が売られている。金物屋の店先にはバングラの家庭に欠かせないバングラ包丁が並んでいた。これって、今まで事故が起きていないんだろうか・・・
バングラでは、売る側も買う側も殆どが男性。河のすぐ横の魚市場には、女性は一人もいなかった。種類は豊富で、ナマズなどは、水から上げられても長い時間生きている。 渡し舟を降りて来た人達。Khulnaでは、渡し舟が2TK、通行料1TK。渡った所にMonglaやシュンドルボン方面に行くプルシャ・バスターミナルがあるため、多くの人が舟を使っている。
Joypurhat管区
    
 Khulna→Joypurhat  200TK 普通席 *8時間と聞いていたが、実際は10時間半だった。そもそも出発が1時間半遅れ・・・
                                            切符はCastleSalamのスタッフが裏技で買ってくれた、自分で買うのは戦いになる。
          Hotel Pritibi 300TK 水シャワー(電気コイル式湯沸かしを貸してくれるので、バケツで湯を沸かせる)シーツなどが使われたままだったので
                        洗濯したものに変えてもらった。
                        *世界遺産のパハルプールがあるにしては、ホテルのチョイスは数件のみ。宿泊してまで来る人は少ないと。
混雑した車内には、引っ切り無しに物売りが来る。10時間も乗っていると、さすがにお腹も空いてきて殻付きピーナッツを買った。小粒だが味は良い。皆、窓からいろんな物を捨てる。殻の捨て場に困ったが、車内の床に捨てた。掃いて生計を立てている人がいるのでまぁいいかと・・・ 国土の殆どがフラットなバングラでは、車窓からは見渡す限り農地が続く。田は、細かく区切られいて工作機などは全く見掛けない。家族単位の手作業が主だ。毎年、10,11月頃は、国中が菜の花で覆われるらしい。
世界遺産のパハルプール僧院遺跡
                100TK 外国人
                10TK ローカル
街からバスかバタリーオートなどで3、40分
*バス以外はボッテくるのでなるべくバスで行くのが良い。遺跡内もまた、外国人が一人で歩くことを禁止するなんて看板が出ている。中をプラプラしている訛りが強くて言ってる事が理解できないガイド救済らしいが、そもそも観光客がいないので意味がない。賑やかな学生達に囲まれて一人になるのは難しいし。
別に廃線ではなくちゃんと列車は来る。しかし、その他の時間は所場代の必要がない線路上は路上商のもの。これは踏切内の店で、果物が少ない冬場は中国からなどの高いアッぺル(Apple)が並ぶ。アッペル1個10TK〜20TK。インドに近いこの辺は街中にヒンディ教徒も多く寺院がある。
女性用シャノワール・カミーユの生地屋。出来あいは少なく、こうした店で生地を選びオーダーメイドする。生地は普通600TK位で柄、色が豊富。綿が高級で絹より高いのもある。店先には、店からミシンを借りて仕事をする専属の仕立屋がいて、一着上下で100TK位だそう。3日で作ると言っていたが、一日でも可だとか。 運転手の後ろのスペースに向かい合って座る、大人4人から詰めれば6人乗れるバタリーオート。乗合式でどこで乗ってどこで降りても5TK。数も多く使い勝手が良い。たいてい運転手がオーナーで、大枚13万TKほどで手に入れたという。全てが中国製だ。
Sylhet管区
     
 Joypurhat→Sylhet 400TK 約12時間 北部を横断する道路が無く、北部を東から西に横に移動するにはいったんダッカに出る。市中心までは入らずに
                                     ダッカから西へ向かう道に入っていた。だいたい4時間おきに休憩があり、トイレに行かれる。コンダクターは、いつも
                                     訊かなくてもトイレの方向を教えてくれた。多かれ少なかれなんかあるのがバングラで、このバスは冷たい隙間風・・・
                                     頑張ったが、ひどい公害もあり終に喉痛になってしまった・・・
           Hiltown Hotel  Single 360TK 水シャワー (バケツに湯をもらった) 部屋は7階で、窓から下の集合住宅の生活が丸見え。
バングラの中では、中産階級が多く・・・というが、街に着いた印象は、やはり何と汚い・・・だった。街の中心でも、川はこんな状態で、実際はこれにひどい悪臭が加わる。おまけに道路に開いた穴にもゴミが捨てられている。歩道は、高さがまちまちで歩いているだけで、下手なジムより運動になる。 料理と言えばカレーのみ。お菓子と言えば、この砂糖漬けのみ・・・色、形、大きさの違いはあるものの、砂糖シロップに漬かった柔らかい団子状ミシュティの味は同じ。お菓子喫茶、男ばっかりが入っている。酒が飲めないバングラでは、甘いお菓子が憩い。因みに、女性は滅多にこうした店に入ったり外でチャイを飲んだりしない。
バスターミナルと街との境にあるシュルマ川。北に位置するシレットのこの時期、水に入るのはきつい。でも、人々にはシャワーであり洗濯場でもあるので、こうして水に浸かっている。 バングラでは、4軒もお茶や夕飯に呼ばれた。これは、日本で働いた経験のあるダスさん宅。近所に妹さんや奥さんの弟家族など親戚が集まって暮らしている。日本で働いたお金で4階建ての家を造り、2階以上にテナントを置き、お母さんを引き取って働かずに暮らしている。国に戻ってから8年にして、初めて出会った日本人だとか。一家を上げて歓待してもらったが、保証人ウンヌンの話もちらほら・・・
Srimangal
       
Sylhet→Srimangal  80TK 2時間位
インドの茶所、アッサムに近いスリモンゴルは、やはり茶の名産地として有名だ。新芽はこれからで、新茶は6月頃になるらしい。広大な茶畑内には村があり、茶の労働者家族達が暮らしていて学校もある。お茶は、普通品で1キロ300円ほど。茶畑に行く道路沿いにいろんな茶の味を試せるサロンがある。
茶畑の周りはグルーっとゴムの林が囲んでいる。落葉樹で、その葉がまた腐葉土になるようだ。女性は、樹液が溜まったカップから貴重な天然ゴムを集めていた。しかし、この人の1日の労働は100円にもならない・・・
茶畑ビレッジの子供達。バングラ国内は、至る所に子供がたくさんいる。昔は7,8人兄弟だったが、最近は5,6人になったとか。それでも、どの家族にも必ず亡くなっている子供がいるので、以前は10人ほどは産んでいたが、今は7,8人という事なんだろう。特にビレッジでは、出産、家事、労働と女性は例外なく重労働だ。 スリモンゴルの外れにあるバス乗り場に停まっていたバスは、おそらく今まで見たどのバスよりも古いと思う。人がたくさん乗っていたので、走るとは思うが???結局、走りだすまで見てしまった・・・しかし、乗客は古いからオリエンタルが見ているとは夢にも思っていないのがバングラだ。
Chittagong管区
              Srimangal→Chittagong  420TK 一等エアコン 夜行約8時間 *珍しくたったの20分遅れ。一等だと、席が無い人は出されるので通路が歩ける。
              Asian SR Hotel Single 748TK チッタゴン鉄道駅の前。中は清潔でバングラではゆいつ十分ではないがWifiが出来たーー
                                   6階で眺めは良いがやはりうるさい・・・仕方ないかぁ・・・
チッタゴンのショドル・ガットから、取りあえず対岸へ行ってみた。同じ舟にいたFarmitaと話しているうちに舟が着いた。そのまま巨大な船の再生工場の横を通り、Farmitaの家に誘われるままお邪魔した。お父さんは、単身赴任。お兄さんは若くして亡くなり、今はお母さんと二人暮らしの会計学生。お母さんは、穏やかな女性で美味しいミルクティーとオレンジをご馳走してくれた。 Farmitaに魚の冷凍工場へ連れて行ってもらった。冷凍モンゴーイカの計測作業中だった。バングラの豊かな水産資源は多くが日本にも輸出されている。特に貝、イカ、タコなどの軟体動物をバングラ人の多くは食べない。コーランによるかどうか、血の出ない動物は不浄らしい。それで、それらが盛んに輸出されるようになって、こうした冷凍工場がバングラの貿易港、チッタゴンに多いらしい。マイナス40度の冷凍庫に入れてもらったが、3分と居られなかったのに、半袖で作業している若い男性達がいた・・・
すっかり暗くなって対岸から戻ると、ショドル・ガッド通りにはたくさんの露店が並んでいた。どうも、バングラでは、夕方からの方が市場が賑やかだ。のぞくと、魚を選んでくれる。どれも新鮮で、どっかで料理ができたら良いのに・・・と思わず買いたくなる。露店と並んで屋台もいろいろ。その中にケバブ屋があった。豚だけ無しのチキン、ビーフ、マトン。ひと串、10TK。バングラでは、高い部類にはいる。女性で立ち食いなどする人は居ないので皆が見ていく・・・ 日本では、あまり知られていないが、クリケットがバングラの花形国技だ。広場では、男の子達が集まってよくやっている。野球のようにバットを振るが、ルールはだいぶ違う。2月17日はダッカで、クリケットワールドカップ第1回オープニング・セレモニーだった。オリンピック開催のような演出はだいぶ金が掛っていた。試合は19日から。世界中から観光客が来るのでホテル取れないよ・・・のはずだったが。
       Chittagon→Dhaka  600TK 7時間くらいというが、10時間掛った。列車は10日位前に買わないと席が取れない・・・
                             *ダッカと第二の都市チッタゴンを結ぶ幹線道路なら片側二車線はあるだろうと思ったのが大間違い。単なる田舎道が
                              延々と続く。ダッカに近づくと道路に張り付いてしまったように動かなくなる・・・男性達は降りてタバコと立ちション。
  
   バングラの旅は、久しぶりのスーパーハードだった。2日目からの下痢は現地の薬で止めながら・・・でも止まらず・・・インドでは止まったのに・・・
   晴れていても青空が見えないスモッグと乾季の埃で、ノドが限界状態に・・・マスクで何とかなるようなレベルではない・・・
   滞在中、Wifiはおろかインターネットもままならず・・・携帯は普及しているので、もっぱら携帯が活躍したが日本の携帯の場合、すぐ前に居る人に電話しても日本
   経由の国際電話になってしまう・・・

   数ある不便さや体調的な問題をカバーして余りあったのが、ローカルの人々の温かさだ。バスの乗り換えや、列車の確認、行き先の説明など親身に対応してくれた。
   街で、ちょっと訊いただけで、目的地まで同行してくれ、更に自宅へお茶や夕飯に呼んでくれた。簡単に信用していいのかという問題もあるだろうが、家族連れや
   学生達の集団でだますような人がいるとも思えない。現に本当に素晴らしい家庭やそういう人達だった。

   だた、彼らの中にはバングラの外の世界を全く知らないとしか、言いようのない、自国への誇りと自信に満ちた人が多いのにも驚く。バングラでは上層階級に入る
   人達でさえ、新市街にゆいつあるビル壁面の大画面をダッカにはこんな物まであるんだと自慢する。新宿にいくつもあるそれらと比べれば、大きさも画質や音質も
   はるかに劣るとしか思えないのに。挙句、バングラってきれいな国でしょう!と駄目押ししてくる・・・こんな汚い国が21世にあるなんて・・・っと思っていたその時に。
   汚いとも言えず、同意すると胸を張って “Of couse!!" 日本人には絶対出来ない発想だ。バングラの観光地を回ったかと皆が訊いてくる。その観光地は世界的にも
   個人的にも全く興味に値しない。それで、ただ行かなかった事実を伝えると、彼らには相当納得し難い事になる。口を酸っぱくして行くべき素晴らしい景勝地だと
   絶賛するのだ。それが、落差たった30メーターの滝でも・・・恐ろしく開発が遅れてしまっている国。近くには急速に発展しているマレーシア、タイ、シンガポールがある。
   今回訪れて強く感じるのは、遅れさせているのはバングラ人自身の変な自信や見栄に一因あるんじゃないのかーーと。
   次回来た時は、是非コックシュ・バジャールに案内するよ!ーーわざわざ行くような所じゃないでしょ!そもそも次回、無理だし! 双方の間にある深い深い溝・・・

       
                                                        

2011、2月 観光客に全く出会わない国?というバングラディッシュ。
滞在中、お腹はやられっぱなし・・・公害でノドも・・・21世紀?とは
思えない不便さ・・・でも、人々はスーバー親切な上、学生達など
からは、まるでスター並み扱いを受けたりします。

バングラ人の発音  ナンベルワン→Number One
              アッぺル→Apple
              バジャール→バザール
              シャリ→サリー