ギリシャ

2007
Tessaloniki Skopje→Tessaloniki  1,000デナル(約2,720円)
Acropole single  18 (シャワー、トイレ共同)スーパーはすぐ横。

テッサロニキの中心エグナティア通り
にはたくさんのバスが走っていて、
大体どこへでも行けてしまう。切符は
一時間有効0,5。1時間以内なら乗り放題というのは便利。マケドニアからギリシャに入った初日、この通りで痴漢にやられたーー何十年ぶり・・

市内のあちこちにローマ時代の遺跡がある。というか、この街はローマの都市の上に出来ているので、どこを掘っても遺跡が出てきてしまう。これは、アギウ・ディミトリウ通り沿いにあるローマ時代のアゴラ。

アルバニアに一番近いポトゴリツァからは行けなかったアルバニア行きを斡旋するという旅行会社のポスター。鉄道テッサロニキ駅の壁に貼ってあった。ギリシャには、結構多くのアルバニア人が出稼ぎに来ている。

中央市場の乾物屋。マメ、穀類、トーモロコシなどなど。買い物は男性の役割?らしい。
Δ Π Φ Η Λ Ξ Σ P
      ↓
D P F I L X S R

AKPOΠOΛ
   ↓
ACROPOLIS


ギリシャ語には手こずった。PがR
だというし。

フェタ・チーズの店。塩気が強く、あまりマイルドではない。パン、オリーブ、このチーズ、トマトきゅうりのスライス、グリースコーヒーはギリシャでは最低限、朝食に付いてくる。

テッサロニキ考古学博物館は、新しい快適な建物なのに見学者が少ない。博物館の係員がほぼマンツーマンで付いて来る。ガイドとしてはバツ←質問に答えられないから。
ギリシャ時代のものとローマ時代の出土品が多く並んでいる。これは、当時のセレブ像。でも、これってかなり変だと思いませんか?それにしてもあちこちでよく見かけた。
3頭の馬のモザイク。毛並みの艶まで生き生きとしている。ラーメン屋で、束になった割り箸が缶に入っているが、モザイクは、あれを上から見たような構造で出来ている。氷山のように見えない部分が深く埋め込まれていて、貯めた水も染み出ない。
Vergina Tessaloniki→Veriaで乗り換え→Vergina  5(約840円)
         マケドニアバスターミナルから。乗り継ぎ一時間待ちなど時間が掛かる

ベルギーナ博物館8 世界遺産
アレキサンダー大王の父、フィリップ2世の墓と言われているが確証がない。墓がそのまま博物館になっている。出土品の金細工は加工技術がものすごく優れているが、残念ながら写真は不許可
マケドニア王家の記録は仔細に残っている。墓の状況はそれを裏づけする内容だ。墓は二部屋あり、奥に壮年男子の骨、多分フィリップ2世。入り口に近い方には豪華な紫の衣装をまとった若い女性の骨。二人の再婚式の折、王は暗殺されたという。妻となった若い女性は殉死らしい。二人の副葬品の豪華さは2000年経った今も変わらぬ輝き。 
ロメウ←ベルギーナ博物館の券でOK。ここまで来る人は少ないので係りのおじさんが喜ぶ。
日を避ける所もない炎天下、ベルギーナ博物館から5分ほどの所にロメウと呼ばれる別の墓がある。この辺りにはちょっとした家ほどの大きさがあるこのタイプのマケドニア時代の墓がいくつか発掘されている。副葬品はどれも華やかで豪華。
Meteora Tessaloniki→Kalanbaka  16.8(約2,800円)約3時間
         列車は新しくて快適だが、トイレはなぜか線路への直行式。

Totis Single 20 シャワー、トイレはベランダ伝いで外だが、なぜか占有。難点←蚊がいた。      

カランバカは完全に観光用の街になってしまっているが、歩いて20分ほどの隣町カストラキに行くと地元のおばちゃん達と楽しい話が出来たりする。

遠足で、メテオラを訪れていた子供達
殆ど日陰がない街中で、唯一の木陰がある公園で、子供達がアイスクリーム休憩。アレキサンドリア、アリストテレスなど、それは子供達の名前。

隣町、カストラキからカランバカに
向かって歩くと左手に巨岩が次々に
姿を変えながら現れてくる。細くて
今にも折れてしまいそうな岩も、近くにいくとかなり太くて大きい。

立て板のような岩の面の上の方にロック・クライミングの二人が豆粒のように見えた。
修道院に展示されていたコート。人の髪の毛で出来ている。非常に重たい。あまり温かいとも思えない。
かつては、修道院と唯一外界を結ぶ交通機関であり、物資食料などの配送手段は今も現役。

アギオス・ステファノスの入り口に
たわわになっていたチェリー。好きな
だけ食べて行けと。甘かった。
この岩でもほぼ90度の壁を登っている人がいた。トレッキングルートは道が続いていなくてて、困る事があるが何とかなる。
鮮やかな赤い背中に4つの点を持つ
珍しいクモ。

終点カランバカ駅を降りると、街の背後に巨石がガーンと
立っている。駅の前の広い道路を渡ると、スーパーや
レストラン、タベルナ、土産物屋、ホテルなどが並ぶ小さな
街で分かり易い。岩山に向かって、坂道になりホテルや
民家があり、人々はのんびりと日陰で熱いお茶などを
飲んでいる。道などを訊いても、「まず、お茶でも飲めば!」
などと言われてしまう。

アテネから日帰りでくるツアーもあるらしいが、バスでさぁー
と周るのではなく、街からトレッキングしても、一番近いアギ
オス・ステファノス修道院まで20〜30分。好きな所で立ち
止まりながら、このいくつもの岩の塔を眺めて歩くのは実に
楽しい。目の前に勇壮に立ち並ぶ岩はホンの数分進むと
もう姿を変えてくる。

Delphi Kalanbaka→Livadia  14.3
Livadia→Livadiaの街→Delphi 
 4.7
Hotel pan 20 ベランダからはIteaの港が見える素敵なホテル。値切り倒し勝ち。         
学生の頃、ギリシャ三大悲劇のひとつ“オイディプス王”の感想文を書かされた。神託ゆえの悲劇に随分と矛盾を感じたものだったが、今、現実にデルフィーの地に立ち、自分が昔勝手に思い描いた情景と本物を比べ、ストリーをなぞってみると、まるでその時の自分に戻ったような錯覚を覚えた。実際には想像していたよりずっと険しい山道を馬車を走らせたライオス王。そして、スフィンクスの謎に挑むオイディプス。デルフィー博物館で神託の下った“へその石”を見、デルフィーの後ろに壁のようにそびえる岩山を見上げ、王といえども神々しさにひれ伏したデルフィーの立地をなるほどと思わずにはいられない思いで何時間も眺めた。 デルフィーからの出土品は、すぐ近くの博物館に納められている。
この皿はほぼ無傷。繊細で優雅な線で当時の女性が描かれている。


往時、ギリシャ中から多くの人が訪れたデルフィーの繁栄は今は見る影もない。大地震などで埋没し2000年も眠っていた。しかし、このような優れた絵付けの皿を見ると高いレベルに洗練された人々を思い起こさせる。
とても保存状態の良い御者の像は青銅製。当時、青銅の像はオリジナルで、大理石はコピーだ。
アポロンの神殿跡。荘厳で威厳溢れる建物だったと創造できる。神殿の南側の壁はインカのような石組みでできている。
数千年前の人々の表情をリアルに伝える大理石像は理想的な美しい肉体になっている。
6月初めのデルフィーは、ガラガラだった。街は急な斜面にできているので、街のどこからでもコリンティアコス湾が見渡せる。メイン通り沿いにはホテルが並び上の方は民家になっている。デルフィーでの二日間は雨だった。滑りやすい大理石の階段を上り下りしながら歩き周るのは結構スリル満点だ。
Olympia Delphi→Nafpaktos→Patra→Pirgos→Olympia  22.4 (3,763円)
      デルフィーからオリンピアまでは乗り継ぎ乗り継ぎで随分と時間が掛かる。

YouthHostel 10(ドミ) 街のど真ん中だが静か。キッチン不可、ベランダで洗濯が干せる。

早朝のオリンピア駅。ホームにしゃれたカフェがある。列車が来る数分前まで窓口は無人で切符が買えない・・・
デルフィーから海岸沿いにナフパクトスまで行き、ペロポネソス半島のイオニア海沿いをピルゴスまで下りて、内陸へ少し入った所が古代オリンピックで有名なオリンピア。パトラやピルゴスと違い、のどかな雰囲気でゆったりしている。街は完全に観光地でレストラン土産物屋、ホテルが並ぶ。ここで買ったミルクが古くてひどいアレルギーにやられた。 ギリシャの列車はゆったりスペースで、快適。便数は暗記できるほどしかない。単線なので、交差待ち時間などがある。しかしとにかく移動には時間が掛かる国だ。           

古代オリンピックが行われたオリンピア。そのスタジアムのスタート地点。トラックには男性しか入れなかった。なんと観客も男性のみ。そして、女性が紛れ込む事を防ぐため素っ裸で競技が行われた。

近代オリンピックの聖火点灯式が行われる聖なる場所。ヘラ神殿前にわずかにその建物の石材が残っている。周辺の石碑にはギリシャ文字でいろいろな記録が刻み込まれている。

オリンピアの問題は石材が柔らかい事らしい。ゼウス神殿の土台はしっかりと残っているが全ての柱が周りに落ちてしまっている。修復は石材の問題ゆえに無理との事だった

往時のオリンピアは壮麗な場であった。重厚な建物は大理石の彫刻が数多く飾られていた。高い柱の上、破風に飾られたものなどは一連のストーリーになっている。大理石の彫刻と共に金メッキされたものも。更に建物には色彩が施され、赤や緑の華やかさだった。あちこちに配された泉や噴水からは常時清水が供給されていた。水道設備、オリンピア内の配管設備、排水設備などのパイプが多く残っている。
Mikines Olympia→Corinthos  10.6 Colinthos→Mikines €4.8
         PirgosからTripoliへの鉄道は閉鎖されていた。かなり険しい山道になるらしい。
         列車からの眺めが素晴らしかったとの情報だったので乗ってみたかったが。
        
コリントス、バスステーションの標識は遺跡から持ち出された大理石の台が使われていた。それ程、たくさんあるみたい。 遺跡へは、バス停から3キロ緩やかな坂道を歩く。バックを持っていたのと暑いのと次がラストバスのため時間の余裕が無く急いでいたので辛かった。
ミケーネはトロイを攻めたアガメムノンの居城。トロイの話だけでも相当に長いが凱旋したアガメムノンのその後もまた波乱万障。4千年以上前の事がイーリアスによって伝えられている。 ミケーネはギリシャ初期の王国。文明はバルカン半島よりは、ヘロポネソス半島やエーゲ海の島々に多く都市を築いていった。なんといっても読みやすい文字によって詳細が残されているのがすごい。
Nafplion Mikines→Nafplion  €2.5
EpidavrosHotel €30 旧市街の中心、一番高い辺りだが、観光客が少なくて値引き。
       ヴァシレオス・コンスタンティヌウ通りを新市街の方に行くと安くなる。
       港に面して、高低いろいろレストラン、スーパーがある。      
ブーゲンビリアがきれいな旧市街はヨーロッパ各国からの多くの観光客が来ている。海はきれいだが、あいにく水はかなり冷たい。 パラミディ城跡からは目の前の港と隣町アルゴスまでよく見える。港内の小さな島ブルジィ島まで、小船が出ている。
Epidavros Nafplion→Epidavros  €2.5 ナフプリオンから近いが、バスの本数が少ない。
Epidavlos €6 世界遺産
      
円形劇場には1万4千人も収容できるという。ここに来る観光客は中央に立って、歌うか詩を吟ずるのが定番らしい。中国の女性が見事なオペラのアリアを披露してくれた。子供達の遠足では恥ずかしそうに予定通りの詩を皆で吟じた。それらの声は最上段にいても素晴らしくよく聞こえる。 遺跡の西にスタジアムがあり、観客席の一部が残っている。病気療養の施設と言われているエピダブロス。少しずつ考えらてきたホリスティック医療が既に施されていたらしい。そのため多くの文化施設が造られた。ほったらかしになってしまっている遺跡が多い中、ここは大々的な修復が行われている。

              
                          
マケドニアのスコピエからテッサロニキへ。どこか、のんびりした旧ユーゴスラビアと違い、街が騒々しい。
旧ユーゴではロシア語的な言語が全く分からず。そして、ギリシャでは典型的なギリシャ文字に慣れないと、
情報量が圧倒的に少なくなってしまう。
バルカン半島とペロポネソス半島
アテネへ  エーゲ海の島々へ
アテネへ    エーゲ海の島々へ