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平泉→仙台→石巻
仙石線、一部途切れているが石巻まで繋がった。今まで地元の人達は、通勤通学だけでも本当に大変だった事だろう。
被災地の方達は、震災前の活気を取り戻すべく一歩一歩歩み始めている。ボランティア、寄付金、支援物資など出来る事はいろいろあるが、
現地でお話を聴くと、何より現地に来てほしいと言う。自然災害のすごさ、それに対して人間の非力さ、その恐ろしさを少しでも共有し共通の認識
を持って欲しいと。そして、何より早く観光地の賑わいを取り戻したいのだと。
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街の機能がすっかり失われてしまっ
たため、今は誰も住んでいない・・・と
いうか住めなくなってしまっている。
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旧北上川沿いに建つ市立病院は
避難当時のままだ。医療器具なども
まだそのままになっている。 |
稱法寺の広大な墓地は墓の区画ま
でもが歪んでしまっているため、元に
戻す事はできるのだろうか・・・ |
丘の手前にある門脇小学校は3階建
ての屋上までが泥で汚れて変色して
しまっている。 |
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頼朝に攻められて跡形も無くなって
しまった柳之御所跡。かつては広大
で壮麗な建物だったとか。
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小山をそっくり寺にした中尊寺は急な
坂道を上った上にある。途中、北上川
が大きく蛇行している姿が望める。 |
能舞台横のかんざん亭からの虹。
この日、虹は朝8時頃から出ていた
が午後になっても消えなかった。 |
復興を願って、あちこちからイルミ
ネーションが貸しだされたとか。
いつもの年より長い期間そしてより
たくさんのライトで飾られた。 |
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規模的には日本に似ているニュージーランドへ1ヶ月のトレッキング旅。
我が国のように国土は必ずしも大きくない。人口はたった400万とか。自然の美しさに恵まれ、経済的にも安定している何とも羨ましい豊かさを誇る。
原子力エネルギーはゼロ。羊毛が中心の酪農国家だが、今は徐々に乳牛や肉牛へシフトしてきているのだとか。どこの街でもスーパー以外夕方5時
には殆どの店が閉まる。スーパーでさえ21時には閉まってしまう。人々は、明るい内に帰り、毎日ゆっくり家族と過ごしたり、十分自分の時間を持つ。
片や赤道を挟んで北半球の日本はと言えば・・・1億2千万もいるのに人口をもっと増やせ増やせ・・・残業、休日出勤と一年中働かされ、それでも若い
人達の生活には余裕が無く、神経がすり減る一方の会社と寝床との往復だけ・・・
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東尋坊→永平寺→金沢
日本では代表的景勝地に数えられる東尋坊だが、世界的に観れば何とも小規模だ。それに、玄武岩節理は随分と浸食が進んでしまって、角が
丸くなってしまっている。
Pongyi 前の鞍月用水で、なんとアユが獲れるのだという古民家のゲストハウス。雰囲気暖か布団はふかふかで居心地優。
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福井から近い内陸部にある永平寺は
山の斜面に建てられているため、
傾斜の内階段で繋がれている。
隅々まで修行僧により常にきれいに
掃除されている。 |
兼六園の敷地を大きく占める砂利。
オリジナルはどうだったんだろう・・・
当時は砂利ではなく、加賀の殿様は
京都の寺のように緑の苔の上を散歩
したのでは。
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金沢城の石垣はまだ真新しい感じが
するが、かなりズレてしまっている。
インカの石組がどれ程優れているか
を改めて知らされる。 |
東山地区には、江戸時代の区割りが
残っているが本当に狭い路地だ。
時代劇で夫婦喧嘩していると、誰か
がすぐ飛び込んでくるが、筒抜け
状態だったんだろうなぁ・・・
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しまなみ海道 今治→岡村島 とびしま海道 ひろ駅→宮島 宮島→広島 広島→石見銀山
石見銀山→大田→出雲→松江
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台風が去った後のしまなみ海道は夏の盛りに逆戻りしたようだった。尾道スタート、向島をパスして残り約60キロ。島を結ぶ橋のみ自転車や歩行者も通行可。
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橋以外は、海沿いの一般道を通る事になるため、毎回橋への上り下りをする事になる。自転車なら橋からの眺めを堪能しながらそれ程急がなくてもその日の内に十分今治まで行く事が出来る。 |
最近まで今治から広島までの船もあったが、今はしまなみ以外は岡村島行きのみになってしまった。岡村島からバスがある隣りの大崎下島、御手洗までの約10キロは歩き。江戸時代に繁栄した御手洗は、江戸時代に賑わった港町の様子をよく残している。
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御手洗から宮島へ。厳島神社がよく見える対岸にバックパッカー宮島があり、多国籍修学旅行のように畳部屋に布団を並べて寝るのが楽しい。満潮時の厳島神社こそがまさに世界遺産の価値ある美しさだ。 |
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広島の平和記念公園周辺は原爆投下直下だった。その元安橋にあるレストハウスは現在観光案内所兼、休憩所になっているが、その地下には当時のままの地下室が保存されている。爆心からたった170メートルだったにも関わらず、たまたま地下にいた方が助かっている。一般公開はされていないが、頼めば見せてもらえる。 |
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石見大森地区から林道を仙の山へ上ると谷間の大森の街を見渡す事が出来る。この仙の山頂上辺りでは4、5百年前の集落跡の発掘調査が地道に行われている。ここからマムシ、スズメバチ注意の看板にビビりながら夏草が茂った道なき急な坂道を降りると5分程で、大久保間歩や釜屋間歩、本間歩に行かれるが分かりずらい。 |
出雲大社前に描かれている大きな3つの輪を全く気にしない観光客が多すぎる・・・鎌倉時代には今の倍の高さがあったと古文書に書かれていた社の高さを証明する柱の根元部分が発掘された証だというのに・・・ |
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出雲から松江へ。松江城の天守閣からは大山がうっすらと見えた。 |
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奈良で旅友と合流、奈良散策と旅話で盛り上がり。その後、例年に比べ一週間遅れで桜満開の吉野へ。豪華、可憐、雅さが下、中、奥へ長々と続くのが日本一と言われる所以。。残念ながら、桜が枯れてしまう病気で、奥の山肌が一部むき出しになってしまっていたり、下の方でもだいぶ隙が出来てしまっている個所あり・・・何とか、ダメージを食い止め、復活して欲しいものだ。吉野から近鉄で伊勢へ。急に神話の世界へ入り・・・でも、日本の神話が分からない・・・小学校で教えるとか、日本は神話を文化として、もっと大切にしないといけないんじゃないか・・・ |
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伊勢から、紀勢本線で回り込み熊野古道を歩いた。歩きたいのは、雲取峠。新宮駅案内所には、古道専門家が居て詳しい情報がある。一日で歩けない事はないが、途中、小口一泊の二日間が標準的とか。一日目、大雲取の後半に来る胴切坂は、延々と下りが続きかなり膝に負担が掛る。余程のツワモノで無い限りやはり2日工程が無難。那智大社から6時間半で小口へ。途中、結構休憩したのだが、普通は8時間程掛るとか。小口では、小口自然の家のオーナー宅に宿泊。雲取峠を歩く客の骨折事故や明るいうちにたどり着けなくて真っ暗な中の救助話などなど。山中では携帯が繋がらず、救助は本当に大変らしい。二日目、小口からの小雲取はただのハイキングだが、江戸時代から多くの巡礼者が歩いた足跡がそこここにあり霊験溢れる充実感優。 |
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広州空港に降りてびっくり!大きい!近代的!明るい!人が多い!活気がある!まさに、中国経済発展の象徴! |
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ドバイから乗り継ぎ泊のチャーリーとギルバート。ホテルで過ごすというのを誘い出して広州の街へ。街は、新旧入り雑じり実に面白い。3人で格安豪華中華で夕食。 |
雨期の前にと思ってバングラディッシュへ。今までは、旅行人と個人のネット以外に殆ど情報が無かったが、今年から歩き方が出版された。それでも、情報は多くない。道中、全くツーリストには会わず・・・情報はもっぱら現地ローカルの御世話のみ。ただし、ローカル情報は局地的でトータルではない・・・行ってみて初めて分かる事の多い事・・・治安は悪くなく、人々はスーパー親切だが、空気、街、交通機関、水・・・全て衛生面で要注意・・・体力に自信があってもかなりハードな旅だった・・・ |
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